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職親会の歴史

職親制度から社会適応訓練事業へ

職親制度は、1970(昭和45)年「東京都の精神衛生職親」制度としてスタートした。 それを遡る4年前の1966(昭和41)年に、東京都では、台東区下谷に都立精神衛生センターが設立され、 精神衛生相談や精神障害者のグループ活動(今日のデイケア)が始まった。 その経験から、3ヶ月間のグループ活動の後、職員もメンバーも一緒に職場探しを行い、時にはその事業所でともに作業を行った。 職員の支援的な働きかけを得て、大部分のメンバーが就職を試みた。高度経済成長期でもあり、小企業主たちは好意的に応じてくれた。

就労援助を拡大するなかで、当時、法制度上の問題として精神病者就労禁止の規定(旧労働基準法第三者評価51条第1項)に抵触することから、 職安職員は精神障害者の職業紹介に消極的であった。 こうしたことから、援助者側の自発的努力と事業主の善意のみでは限界があり、 継続的な精神障害者に役立つ就労援助制度として事業化する以外にはないと家族会の陳情要請と精神衛生センターからの制度要求がマッチするかたちで、 日本初の精神障害者職親制度が東京都に誕生した。 当時は、福祉の知事といわれた美濃部都政だった。その後、他県でも東京都にならい、順次広がっていった。

知的障害者(当時は精神薄弱者)には国の職親制度がすでに存在していた、東京都より遅れること10年、 国は精神障害者職親制度検討委員会(委員長・菅又淳=東京都立精神衛生センター長)を設け、 職親制度が精神障害者の社会復帰にも地域社会の開発にも有効との報告書をまとめた。 その結果、1982(昭和57)年4月、厚生省公衆衛生局長の通知により、 「通院患者リハビリテーション事業」(実施主体は都道府県:1/2国庫補助対象事業)が開始され、 13年を経て「精神保健福祉法」のなかに、精神障害者社会適応訓練事業として1995(平成7)年に法定化された。 しかし、平成15年度からは国庫補助から地方交付税で措置されることになり、一般財源化されたのである。

1981(昭和56)年全国初の職親会が静岡に誕生

静岡県富士市の井手加工紙(有)代表取締役・井手利彦は、県内の職親に呼びかけ、1981(昭和56)年9月に全国初の県単位の「静岡県精神衛生職親会」を精神衛生センターや家族会の協力を得て設立した。会員は富士市の大富士病院周辺の製紙・パルプ関係の職親事業所をはじめ、沼津・浜松周辺の事業所など、約80社だった。

静岡県精神衛生職親会会長となった井手は、1983(昭和58)年欧州精神医療視察団の一員として、ベルギーのゲールで地域のなかで暮らす精神障害者の「里親」制度にふれ、日本では、職親制度を充実させるべきだと県当局や病院、家族会などに働きかけた。

1984(昭和59)年7月号の「ぜんかれん」誌で、「職親制度の現状と今後のあり方」という座談会が掲載され、そのなかで当時の国立精神・神経センター精神保健研究所(以下、精研)の岡上和雄社会復帰部長から「職親たちが中心になって全国組織をつくってはどうか」との提言があり、これが全国職親会発足の大きなきっかけとなった。

さらに1986(昭和61)~1987(昭和62)年に開催された全国精神障害者家族会連合会(以下、全家連)の「精神障害者の社会復帰と社会参加を推進する全国会議」で職親分科会が設けられ、各県の有効な事例が報告された。岡上部長と全家連の協力のもとに1986(昭和61)年4月に設立準備会(静岡、宮城、東京、茨城、神奈川、埼玉、千葉の職親)が組織され、翌1987(昭和62)年7月11日、東京銀座のガスホールで、新たに岐阜の職親も加わり8県で「全国精神衛生職親会」が設立された。

その後、県単位で組織は発足した県は、1987(昭和62)年に茨城、翌1988(昭和63)年に山形、神奈川、東京、埼玉(現在休止)、1991(平成3)年に愛知、千葉が加わり、同年全国精神保健職親会連合会(全国職親会と省略)と改称された。さらに、1993(平成5)年に福井、1994(平成6)年に京都、1997(平成9)年には兵庫と沖縄が加わり、また、1998(平成10)年に北九州が政令市で誕生し、その後山梨、和歌山、岡山、青森の4県が、また、地域の職親会としてこれまでに、秋田、宇和島、函館の職親会が加入し、参加数16県4市に至っている。

同連合会は、かねてからNPOへの法人化を準備していたが、2005(平成17)年3月4日に登記を完了し、特定非営利活動法人全国精神障害者就労支援事業所連合会として、新たに発足した。

出所:精神保健福祉白書2006年版(中央法規出版)